個人の部(地域文化)
田邊雅章 氏(広島市)
1960年に県内の新聞社に映像ジャーナリストとして入社し、記録映像作家としての基礎を学び、その後、独立し広島での記録映画制作に取り組む。
10年の歳月をかけ、これまで誰も手がけてこなかった被爆以前の猿楽町・細工町の町並みや産業奨励館(現 原爆ドーム)を映像で細密に復元し、ハイビジョン作品「原爆ドームと消えた街並み」、「爆心地猿楽町復元〜ヒロシマの記憶〜」、「ヒロシマ グラウンド ゼロ〜あの日、爆心地では〜」、「爆心地/総集編〜ヒロシマの記憶〜」の4部作をまとめ2006年7月に完成させた。これらの映像作品により、伝統文化や当時の市民の生活の状況などを音声とともに再現した。
爆心地復元の映像作品を通じて国内のみならず、海外にもヒロシマからのメッセージを発信。国連の核軍縮活動にも貢献した。
見延典子 氏(広島市)
高校在学中に小説「指」が北海道新聞社主催「有島青少年文芸賞」で佳作となり、その後大学の卒業論文として執筆した小説「もう頬づえはつかない」が50万部を超えるベストセラーになったことを機に作家となる。結婚し広島へ転居。以後本県で作家活動を続ける。
10年以上の歳月をかけて頼山陽とその一族の研究を続けてきた集大成として、中国新聞に小説「頼山陽」を2年半にわたり連載。2007年には刊行され、本年新田次郎文学賞を受賞した。
作家としての活動に留まらず、交流定住のコンシェルジュ「ひろしま暮らし支え隊」PRレディや全国組織・移住交流機構のJOIN大使を務めるなど広島の活性化にも貢献している。
そのほかの作品として、近年では日記評伝「すっぽらぽんのぽん」、小説「家なんか建てなきゃよかった」、歴史紀行「平家物語を歩く」、エッセイ「頼山陽にピアス」などがある。
蔵王はね踊り保存会(福山市)
蔵王のはね踊りは古記録から江戸時代後期には、蔵王を中心とした周辺の村々で踊られていたことが明らかになっており、現在も当時の形態をとどめている貴重な文化財である。
以前は雨乞いで踊られていたが、現在では蔵王八幡神社の秋季例大祭で踊られている。
かつて踊りの継承は青年団員による任務であったが、団員数の減少によりその継承が危ぶまれ、町内全世帯に保存を呼びかけ、1973年「蔵王はね踊り保存会」が結成された。以後町全体でその価値を共有し継承している。2003年には「伝統文化子ども教室実施団体」(文化庁指定)に決定し、年間を通して会員が子どもたちに指導を行い、子どもたちが地域の伝統文化に誇りを持つきっかけになっている。
2008年広島県無形民俗文化財の指定を受け、県内を中心に県外でもその踊りを披露している。
広島文化賞贈呈式(集合写真)
2008(平成20)年11月18日(火)
鯉城会館ルビーにて